内閣官房の原子力災害専門家グループは、東日本大震災直後の2011年4月1日に発足してから、今年4月に4年目を迎えました。私たちの役割は、このコーナーのトップページにも書かれていますように、今般の原子力災害に関して、
- ○ 被災者の避難、受け入れの際の安全確保に関すること
- ○ 被災者の被ばくに係る長期的な医療、健康管理に関すること
- ○ その他、放射性物質に関する人体への影響一般に関すること
等について、外部の専門家として随時、官邸に対する助言を行うことにあります。
この役割を担いながら3年を過ごした今、自分自身のコメントも振り返りながら、私なりの思いを書いてみたいと思います。
- ≪就任直後 2011年4月≫
-
●第3回コメント「チェルノブイリ事故との比較」
(平成23年4月15日)就任後間もない2011年4月15日、福島の方々、日本中の方々が東電福島第一原発の事故の状況、その影響への不安を募らせる中、上記コメントを書きました。その中で、健康に対する影響について、チェルノブイリ事故後20年目、25年目に発表された国際機関のまとめと東電福島原発事故を、下記3つの具体例を挙げて比較し、ご説明しました。
- ① 原発内で被ばくした方の急性放射線障害
- ② 事故後、清掃作業に従事した方の健康影響
- ③ 周辺住民の健康影響と、牛乳からの摂取を含めた子供の甲状腺被ばく線量
その上で、「一般論としてIAEAは、『レベル7の放射能漏出があると、広範囲で確率的影響(発がん)のリスクが高まり、確定的影響(身体的障害)も起こり得る』としているが、各論を具体的に検証してみると、福島とチェルノブイリの差異は明らかである」と書きました。
私自身、1990年から上記国際機関のまとめが出る2006年までの間、チェルノブイリの健康影響の研究とまとめ作業に科学者、専門家として参加し、その内容を十分に理解した上でのコメントでした。当時このコメントに対して、特に大きな反響がありました。
事故から約一か月後でしたが、日本社会の事故に対する怒り、恐怖、さらに災害時の流言飛語による混乱を改めて認識し、原子力災害専門家としての責任を身にしみて感じました。その後の自身のコメントもあらためて振り返ってみます。
- ≪一年目:2011年4月~2012年3月≫
-
●第16回コメント「サイエンス(科学的事実)とポリシー(対処の考え方)の区別」
(平成23年9月29日)事故後初期の頃には、100mSv(ミリシーベルト), 20mSv, 1mSvなど、多くの人々が初めて知ることになった数値とその健康影響について、様々な主張が世の中を飛び交い混乱していました。そこで私はまず、「健康への影響は認められない」という報告は≪サイエンス≫、「健康への影響があると仮定」した放射線防護の勧告は≪ポリシー≫という違いを示しました。具体的には、たとえば、
- ○ 被ばく線量に比例して直線的にがんのリスクが増える
- ○ ただし100mSv以下では、そうした影響が疫学的には認められない
というのは≪サイエンス≫。それを踏まえたうえで、あえて「100mSv以下でも影響がある」との「仮定」に基づき、
- ○ 100mSv以上における“線量と影響の直線関係”のグラフの線を100mSv以下にも延長して、放射線の防護の体系を考える
- ○ 平時では、一般の人は「公衆限度として、1mSv/年」、職業人は「20mSv/年」あるいは「50mSv/年、ただし5年間で計100mSv内」と勧告する
- ○ 緊急時で被ばくがコントロールできないときには20~100mSvの間で、事態がある程度収まってきたら20~1mSvの間で、レベルを決めて対策を計画する
とするのが≪ポリシー≫だ、と説明しました。
-
●第21回コメント「低線量被ばくのリスク管理(ワーキンググループ報告書より)」
(平成24年2月21日)その後、調査が進んで来ると重要な結果が報告されています。福島県の健康管理調査の行動調査によると、事故後に避難、退避、食品規制などを行った結果、被災者の事故後4ヶ月間の推定外部被ばく線量は、避難地域の住民であっても、94%以上が3mSv以下であることが明らかになりました。ところが、「避難区域指定の基準になった年間20mSvは危険である」「チェルノブイリでは年間5mSvで避難した」といった情報が飛び交い、放射線に対する社会的な不安はかえって膨らんでいるように見えました。
そこで低線量被ばくのリスクを科学的に議論するため、「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」が開始され、公開討論の後に報告書が発表されました。
その報告書の中で、「『年間20mSvという低線量被ばく』は、『今後より一層の線量低減を目指すに当たってのスタートライン』としては適切である」とし、さらに今後の対策に関して5つの提言をまとめて、政府に提出しました。概要は下記となります。- ① 除染には優先順位をつけ、参考レベルとして、例えばまずは2年後に年間10ミリシーベルトまで、その目標が達成されたのち、次の段階として年間5ミリシーベルトまでというように、順を追って徐々に目標を設定して行うこと。
- ② 子どもの生活環境の除染を優先し、長期的には追加被ばく線量年間1mSv以下を目指す
- ③ 子どもの食品には特に配慮し、適切な基準の設定、食品の放射能測定器の配備を進める
- ④ 専門家が住民と継続的に対話を行えるようにし、地域に密着した専門家を育成する
- ⑤ 福島県が今回の原発事故前に策定した「がん対策推進計画」にある目標、「がんの年齢調整死亡率を今後10年間で20%減らす」の達成を図るべく、各種対策を実行し、さらに《がん死亡率が全国で最も低い県》を目指すなど、新たな目標を設定する。
このワーキンググループの共同座長を務めた立場として、上記提言は今でも有効な内容だと信じています。
- ≪二年目:2012年4月~2013年3月≫
-
●第23回コメント「東京電力福島第一原発事故からの1年を振り返って」
(平成24年4月6日)このコメントの中では、将来を見据え、復興を視野に入れた具体的な対応を考えていく時期において、除染、健康管理、生活の保障など、気の遠くなるほど多くの対策が必要となる中、「…事故から1年を経て、日本国民全体として、《福島の被災者の皆さんの健康被害を最小にする》、《復興にむけて被災者の方々を援護する》という姿勢を、今一度共有することを、一科学者として提言したいと思います」と結びました。
-
●第34回 「福島の50年後を見据えて-日本の科学者としての責任-」
(平成25年2月1日)このコメントは、2月25~27日に福島市にて開催された第二回「放射線健康リスク管理福島国際学術会議」(1)の直前に、日本側の基調講演を準備しながら書いたものです。日本での二年間にわたる健康影響に関する調査結果を外国に発信する気構えでした。そこで、講演のタイトルも、コメントのタイトルも、「福島の50年後を見据えて―日本の科学者としての責任―」としました。内容をまとめますと、以下の通りです。
○ 原発事故への基本的な対応に関してのチェルノブイリの教訓として
- ① 国の責任者が、事故に関するすべての情報を遅滞なく国民に開示する
- ② 科学者は、開示された情報にもとづいて、放射線の健康影響(被害)を科学的に推定する
- ③ 被災者と国や地方の担当者は、推定された健康影響にもとづいて、話し合いを続けながら対策を決定する
という3点を挙げ、福島における科学者の一義的な責任は②にある通り、過去の教訓をもとに、開示された情報から放射線による健康影響を科学的に推定することであり、さらには、新たに生じる放射線による健康影響を発見できるよう、科学的な調査計画を立てるところにあるのではないかと思う、と述べました。この考えに沿って、下記のような一年目の具体的な調査結果を確認しました。
-
○ 健康影響について
『被ばく線量の推定』『健康影響の推定』『「放射線による健康影響」と「放射線以外の要因による健康影響」』
被ばく線量の推定、健康影響の推定については、会議での講演も含めてCommentaryとして、別の国際学術誌「Radiation Research」にも発表しました(2)。 -
○ 健康影響への対策 について
被災者、行政(国、県、市町村)、に科学者も加わり、「放射線の健康被害」と「放射線以外の要因による健康影響」を念頭に、避難や移転、食品管理、除染、健康管理などに関して十分に対話を続け、最終的には被災者自身が主体的に対策を決定することの重要性を指摘しました。 対策の最終的な目的は、被災者の健康影響をあらゆる意味で最小にすること、そして、災害の全ての面からできるだけ早く復興することであると信じます。 -
○ 日本の立場、日本の科学者の責任について
世界で唯一の被爆国として、日本は、放射線の健康影響の基準(ゴールドスタンダード)を世界に発信してきました。福島での原発事故に際しても、できるだけ詳細な情報を世界に発信し、被ばく線量に基づいた健康影響の推定、適切な対策の発信にも、中心的な役割を果たす責任があること、そしてなにより、皆が被災者に心を寄せつつ,人間愛をもって困難を克服していくことの必要性を挙げました。
- ≪三年目:2013年4月~2014年3月≫
-
三年目は、事故を起こした原発の廃炉、被災地の復興に向けて様々なレベルで活発な対策が行われました。
放射線の健康影響に関しては、個人の被ばく線量の評価がさらに進み、今までの人類の経験に照らせば「福島での事故による放射線の影響から病気が起こることは『考えにくい』」と、福島県健康調査検討委員会、UNSCEAR(昨年5月国連総会へ報告、今年4月2日福島に関する報告書公表(3))とも結論付けています。今までの科学的、客観的な調査結果からは、放射線に対する過度の恐れは無用と考えられます。
一方で三年が経過した今、現実として震災関連死は現在も増え続けています。福島では2月に震災関連死で亡くなった方が1,600人を超え、直接死で亡くなった方の数を超えました。
このことは一年目の終り頃から、避難生活が長期になった場合の結果として危惧されてきたことです。その危惧が現実となり、放射線による健康被害は認められない状況であるにも関わらず、「放射線を避けたために健康被害を受けている方」が現在も増え続けていると考えられるのです。
被災者の安全対策、健康管理、そして放射線の健康影響に関する専門家としては、改めてこの三年間を見直しながら、被災者の震災関連死をこれ以上増やさないように、最大の努力を払うとともに、将来に向かって真剣に行動しなければいけないと決意を新たにしました。
長瀧重信
長崎大学名誉教授
(元(財)放射線影響研究所理事長、国際被ばく医療協会名誉会長)
(参考資料)
- (1) 第二回 放射線健康リスク管理福島国際学術会議
http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/168-s-2-1.pdf - (2) Nagataki S1, Takamura N, Kamiya K, Akashi M. Measurements of individual radiation doses in residents living around the Fukushima Nuclear Power Plant. Radiat Res. 2013 Nov;180(5):439-47.
http://www.bioone.org/doi/full/10.1667/RR13351.1 - (3) Sources , Effects and Risks of Ionizing Radiation, UNSCEAR 2013 Report
http://www.unscear.org/docs/reports/2013/13-85418_Report_2013_Annex_A.pdf