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首相官邸 Prime Minister of Japan and His Cabinet
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ICRP放射線防護体系の進化
―倫理規範の歴史的変遷―

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 このコーナーの第5回でお示ししたように、ICRP(International Commission on Radiological Protection:国際放射線防護委員会)は1928年の創設以来、科学的知見の進歩と社会動向の変化を取り入れながら、その都度、防護体系を改訂して総論的勧告を公表し、放射線防護の理念と原則について国際社会に助言してきました。その科学的知見の基礎となっているのは、現在では「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation:UNSCEAR)」が報告する科学的付属書です(第2829回参照)。
 ここではICRPの創設から、最新の勧告である「2007年勧告」に至るまでの防護体系の変遷を大まかにたどり(表1参照)、防護の目的や手段の変遷、さらにはこれまであまり触れられなかった、背景にある倫理規範の変遷についてもご紹介したいと思います。

1.「防護対策の対象となる被ばく状況」の変遷

 ICRPが発足した1928年の勧告では、放射線医療従事者の「職業被ばく」を制限し、健康障害が出ないようにすることが、防護対策の対象でした。その後、加速器の開発(1932年)、人工放射性同位元素の発見(1934年)により、放射線源が増え、その利用範囲が拡大するにつれ、職業被ばくをする人々が医療分野以外にも広がりました。
 1950―1960年代には核兵器の大気圏内実験が行われ、放射性降下物による環境の汚染が広がった結果、一般公衆の被ばくにも制限が加わりました。この頃、後述する「確率的影響」の概念が確立するとともに、公衆の低線量被ばくの重要性が増し、さらに患者の医療被ばくにも関心が寄せられました。
 1990年勧告では、平常時だけでなく原発事故などの緊急時の対策も求められ、放射線利用により被ばくを増加させる行動「行為:Practice」と、事故時などに被ばくを軽減する行動「介入:Intervention」を軸とした防護体系となりました。 さらに2007年勧告では、防護計画を立てる時に既に存在する線源の影響や、事故などの後の復旧期で、「平常時よりは高い被ばく(現存被ばく状況)」への対策も加わり、「平常時」「緊急時」と併せて3つの被ばく状況に対する防護体系へと進化しました。

2.防護対象の変遷

 ICRP創設当初は、当然、人の健康を守るために防護計画が立てられました。その後1977年勧告では、「人が守られれば環境も防護される」という記述になりました。時代とともに環境保全への関心が世界的に高まるなかで、2005年には第5専門委員会「環境の防護」が活動をはじめ、2007年勧告では「環境(人以外の生物種)の防護体系」が新たに付け加えられました。

3.防護目的の変遷

 ICRP創設当初は、被ばく者本人に身体症状が起こらないように被ばくを制限することが放射線防護の目的でした。症状が出る境界となる線量(しきい線量)以下に被ばくを抑えることで、その目的が達成できました。
 ところが1950年代以降、広島・長崎の原爆被爆者の疫学調査や動物実験の結果から、「遺伝的影響や発がんのリスクについては、しきい線量がない」と考えるのが妥当と判断され、後で述べる「確率的影響」が認知されました。その結果、「どんなに小さい被ばく線量だとしても線量に比例してリスクが存在する(直線しきい値なし<Linear Non-Threshold:LNT>モデル)」と見なす方が、防護上より安全と考えられるようになりました。従来のしきい値のある「非確率的影響」を回避すると共に、しきい線量のない「確率的影響」をできるだけ小さくすることが防護の目的となったのです。
 その後1990年勧告では、「非確率的影響」は「確定的影響」と言い換えられました。最初に起こった事象の程度で結果が決定される、という意味で”deterministic”という言葉が当てられたのです。しかしその後、身体内部の反応や薬など外部からの要因が、結果の表れ方に影響を及ぼすことが明らかになりました。それによって「確定的」は適切な表現ではないことが分かり、2007年勧告以後は、「組織反応(tissue reaction)」という言葉が採用され始め、徐々に「確定的影響」にとって代わりつつあります。
 また補足ですが、近年の分子生物学的手法も取り入れた実験から、放射線が当たらない細胞にも放射線の影響が及ぶこと(標的外への影響)が明らかにされていますが、2007年勧告の段階では、その新たな知見に言及しつつも、「まだ人の防護体系に取り込むまでには成熟していない」という立場を表明しています。

4.主な防護手段の変遷

 ICRPが創設された1928年勧告では、身体表在組織(皮膚)と内部臓器の障害、血液の変化が起こらないように、作業時間の短縮、休暇の延長、ビームから距離をとるといった実際的な助言によって防護対策がとられました。その後1934年勧告以後は、定量的な制限値が設けられ、耐用線量、最大許容線量と最大許容濃度の勧告、生涯線量の年齢ごとの分配などで制限値が与えられました。
 防護手段の変遷は、線量の単位の変遷にも表れています。ICRP創設当初は、放射線の照射線量には<レントゲン(r)>が用いられました。その後、身体が放射線から受け取るエネルギー量である吸収線量<グレイ(Gy)>が使用されました。さらに、放射線から人が受ける生物学的効果を考慮して、低線量の確率的影響のリスク指標として、臓器線量に用いられる「等価線量」、全身被ばくのリスクに用いられる「実効線量」という二つの指標が、防護の目的で開発されました。等価線量と実効線量はともに防護量と呼ばれ、防護計画の立案や防護対策の成果を測る指標として使用することが意図されています。これらの単位としては、いずれも<シーベルト(Sv)>という特別な国際単位が当てられています(第41回42回参照)。
 シーベルトは、ICRPが開発した「標準人ファントム」を用いて算出します。これは、身長176cm、体重73kgの標準男性と、163cm、60kgの標準女性の模型に、ほぼ同じ体格の人の各臓器のCT画像を配置したものです。
 内部被ばくは、放射性同位元素ごとに、摂取後の体内移動や臓器蓄積などを考慮した動態モデル(吸入摂取に対応する呼吸器動態モデルや経口摂取に用いる消化器動態モデルなどがあります)をあてはめて、等価線量と実効線量を計算します。
 計算で算出できるものの実測はできない実効線量については、シーベルトの代わりに、ICRU(International Commission on Radiation Units Measurements-国際放射線防護委員会) が開発した実用量と呼ばれる実効線量の安全側(大きめ)の近似値である<マイクロシーベルト(uSv)毎時>が、空間線量モニターや個人線量モニターに用いられています。
 時を経て1977年勧告では、社会全体の利益を評価する指標として、被ばく集団の被ばく線量の総和(または、平均線量×人数)として表される集団実効線量(単位は「人・シーベルト」)が開発導入されました。
 ひるがえって1990年勧告では、社会全体の便益以上に、個人の健康や福祉を重視しています。さらに、放射線の利用で得る利益と放射線による不利益の差を最大にするという「最適化原理」(第36回参照)の推進に重心を移しました。最適化は、「合理的に達成可能な限り被ばくを低減する(as low as reasonably achievable: ALARA)」ことを目指します。
 さらに2007年勧告では、最適化原理の適用範囲を広げ、平常時(計画被ばく状況)では「線量またはリスク拘束値」(線量限度以下に定める防護対策の目安値)を、緊急時や現存被ばく状況では「参考レベル」(状況に応じて定める防護対策の目安値)を用いて、最善を尽くして繰り返し防護活動を実施する方策(第36回参照)を解説しています。
 また2007年勧告では、実効線量や集団線量という防護のための線量単位が、疫学調査や遠い将来のがん死亡数予測に誤って用いられた反省に立ち、実効線量や集団実効線量の意味と適切な使い方を詳しく解説して、使用を制限しています。

5.倫理規範の変遷

 最後に、前述の内容と重複する部分もありますが、「倫理規範」に焦点を当ててその変遷をまとめてみます。
 ICRPが創設された1928年から1950年の間は、倫理規範についての議論は特になされず、生命を尊重し人々の善意を重んじる「有徳の倫理学(virtue ethics)」に基づいた管理原則であったと言えます。
 1960-70年代には、社会全体の利益と費用対効果の比率への関心が高まりました。そのような考え方の下では、どれだけの費用を使って何人を救えるかが重要でした。その指標としては前述の通り、被ばく集団構成員の被ばく線量の総和を「人・シーベルト」という単位で表す「集団実効線量」が有用でした。社会全体の幸福を重視するという意味で、この頃の考え方は、功利主義的な成果主義倫理(Utilitarian consequence ethics)に大きく依存していたと言えます。これは、イギリスの思想家ジュレミー・ベンサム(1948-1832)が創始し、ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)、リチャード・エア(1919- )へと受け継がれた実用性を尊重する成果主義でもあります。
 さらに1977年勧告では、平常時にあっては、個人があらゆる線源から受ける線量に対して「線量限度(これを越えることは容認できない上限値)」を適用することが、防護の中心とされました。
 その後1980年代に入ると、「個人別医療(tailored or individualized medicine)」という言葉の登場に象徴されるように、個人の利益が重視される流れのなかで、放射線防護においても、全体としての費用対効果比や集団線量の重みが相対的に減ることになります。放射線防護の3原則(行為の正当化、防護の最適化、個人線量限度の適用)に照らして言えば、ALARA原則に基づく防護の最適化(第36回参照)の重要性が増しました。1990年勧告で、防護の最適化の手段に用いる指標として、特定の線源ごとにその被ばく線量を制限する「線量拘束値(dose constraint)」が導入されたのがその表れでした。
 2007年勧告では、最適化の概念を平時(計画被ばく状況)のみならず、緊急時と現存被ばく状況にも拡大しました。さらには、線量/リスク拘束値と同様の概念に基づき、最適化の指標として「参考レベル」を導入しました。
 1990年、2007年のICRP勧告では、「義務論倫理(Deontological duty ethics)」を重視して防護体系が構築されています。これはエマヌエル・カント(1724-1840)やデビッド・ロス(1877-1971)が論じたように、「道徳的に正しい行動は、法律や規則の尊重に基づく義務感(deon=duty)から発し、結果の良し悪し以上に善良な動機が重視される」という考え方です。つまり、「良い結果」=「最大多数の最大幸福」を目指す功利主義倫理から、「善良な動機」=「個人の幸福」を尊重する義務論倫理へと重心が移動しつつあるといえます。また、公平性(equity)を重んじ、不公平(inequity)を避けようとする記述が随所にみられるのは、平等主義(egalitarianism)尊重の表れとも言えます。

6.福島原発事故への対応

 福島原発事故後の我が国の対応から、放射線防護関連の国際機関が学ぼうとしています。世界保健機関(WHO)の報告、ICRP作業グループ84(TG84)の報告がすでに提出され、今後UNSCEARの報告(第33回参照)が近日中に出ると予想されます。国際原子力機関(IAEA)も委員会を立ち上げて更なる検討を開始しようとしています。ICRPは、日本からの委員が共同座長を務め、TG94で緊急時(刊行物109)と復旧時(刊行物111)における人々の防護対策の見直しと改訂作業を始めました。同時に、TG93で放射線防護の倫理的側面の検討も始めており、7月にはその第3回会合が開催されます。いずれの活動にも、福島原発事故を経験した日本からの貢献が欠かせません。
 あの悲惨な事故の被災者に寄り添いながら、復旧・復興を後押しするために努力すると共に、事故の経験から学んだことを国際機関の活動に反映し、世界の原子力安全、放射線防護の進歩に貢献するのが、私達の責務であると考えます。

ICRP勧告の歴史的変遷
  初期 中間期 近年
主要な勧告年 1928年 1950年 1977年 1990年 2007年
防護対策の対象となる被ばく状況 医療従事者の職業被曝
≪平時のみ≫
全ての職業被ばく
公衆被ばく
患者の医療被ばく
≪平時+緊急時≫
制御可能な線源からの全ての人の被ばく
人以外の生物種の被ばく
≪平時+緊急時+復旧期≫
防護の対象 人のみ 人(『人が守られれば環境も守られる』) 人と環境(人以外の生物種)
防護の目的 しきい値のある急性影響の回避 確定的影響の回避
確率的影響の最小化
確定的影響の回避
確率的影響の最小化
生物学的新知見「標的外への影響」を認知
主な防護手段 実際的助言 線量限度の適用
次いで最適化(拘束値の適用)
「線量/リスク拘束」と「参考レベル」を用いる最適化を重視
倫理規範 「生命の尊重」
「徳(virtue)の倫理」
功利主義(utilitarian)倫理を重視 義務論(deontological)倫理を次第に強調

※ ICRP刊行物109 表3、1に基づいて筆者が翻訳改訂


佐々木康人
前(独)放射線医学総合研究所 理事長
前国際放射線防護委員会(ICRP)主委員会委員
元原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)議長

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