平成24年9月5日
このコーナーでも、第7回、第11回、そして前回と、たびたび御紹介している重要な国連組織「UNSCEAR(アンスケアー)」。今回は、《この組織が世界で果たしている役割》と、《我が国がこの組織で果たしている役割》について、もう少し詳しくご紹介いたします。
世界の懸念が、アンスケアーを生んだ
少々長くて覚えて頂きにくい名前ですが、UNSCEAR(アンスケアー)とは「United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation=原子放射線の影響に関する国連科学委員会」の頭文字をとったもので、国連の中でも最も歴史のある委員会のひとつです。
東西冷戦下で、大気圏核実験が頻繁に行われていた1950年代。環境中に放射性物質が大量に放出され、放射性降下物による環境や健康への影響について懸念が増大する中、1955年の国連総会で、アンスケアーの設立は全会一致で決議されたのです。
以来、核兵器《非》保有国の委員が持ち回りで議長を務めながら、放射線の発生源と影響に関する国際的な調査研究成果を包括的に取りまとめ、国際社会に提供してきました。設立当初、日本を含め15カ国だった加盟国は、その後21カ国に増え、さらに今年からは27カ国になっています。
アンスケアーが、世界で果たしている役割
アンスケアーは、自然放射線や、医療や産業などの平和目的および軍事目的で使用される人工放射線による被ばくのレベルと、それが及ぼす身体的・遺伝的影響、環境影響に関して、全世界から得られた調査研究資料を絶えず収集・整理・評価しています。その結果は、毎年取りまとめて国連総会へ報告するとともに、数年ごとに報告書を出版してきました。
1958年以降今日までに出版してきた主要な報告書は、20点に上ります。この取りまとめにあたっては、収集された調査研究資料の科学的健全性(科学的にしっかりとしたものであること)の評価などに、最も重点を置いています。
- (1)大気圏核実験禁止の国際的合意の根拠に
アンスケアーの報告書は、その《独立性》と《科学的客観性》から、これまで高く評価されてきました。そのうち、1958年と1962年に国連総会に提出した最初の2つの報告書では、放射性降下物などによる放射線被ばくレベルと、そこから推定される影響の程度に関する知見を、包括的に評価しました。
まさにこれらの報告書が科学的根拠となって、1963年、大気圏内での核実験の禁止を定めた「部分的核実験禁止条約」の締結がなされたのです。これは、アンスケアーにとっての最初の大きな功績と言っていいでしょう。
- (2)チェルノブイリ事故の健康影響などを世界に報告
1986年のチェルノブイリ原発事故に際しても、アンスケアーは早くから放射線被ばくと健康影響の評価に関わりました。まず事故の翌々年には、緊急作業従事者への放射線の急性影響や、地球レベルでの放射線被ばくについて最初の報告書を出版。2000年には、事故による放射線被ばくとその影響をより詳細に評価した報告書を、さらに東電福島事故直前の昨年2月末には、2008年版報告書の一部という形で「チェルノブイリ事故からの放射線による健康影響」を出版しました。
また、少し遡りますが2006年版報告書では、「放射線被ばくによる、がん並びにがん以外の疾患のリスク推定」などについての近年の知見をまとめています。
このようにアンスケアーは、放射線が誘発するがんのリスク推定に関する情報などを世界中に提供する責務を担ってきました。これらの情報は、 ICRP(国際放射線防護委員会)が放射線防護の理念と原則を勧告する際の科学的根拠としても活用されています。
- (3)福島からの情報を世界と共有すべく
そして、第11回のこのコーナーでもご紹介しましたが、現在アンスケアーが精力的に取り組んでいるのが、東電福島原発事故に関する報告書の作成です。昨年、世界各国のエキスパート約70名が結集して、専門家グループが立ち上げられました。事故関連の各種データ収集、放射性物質の放出と拡散状況、住民の被ばく線量とリスク評価、作業者の被ばく線量と健康影響などをテーマに、検討作業を進めています。
この報告書の作成に当たっては、我が国の貢献が大いに期待されています。このため、昨年9月に原子力安全委員会放射線防護専門部会(委員長:米倉義晴)の中に、11人からなる「アンスケアー原子力事故報告書国内対応検討ワーキンググループ」(主査:児玉和紀)を設置しました。現在、このメンバーを中心に、我が国からもアンスケアーの専門家グループに参画して、報告書作成作業に携わっています。
専門家グループ側からは、膨大な量の正確かつ客観的な科学的情報を、迅速に提供することが日本側に求められてきます。その要請への対応は実はなかなか容易ではありませんが、日本の各メンバーは、来年の報告書取りまとめに向けて、全力で作業を続けているところです。
日本が、アンスケアーで果たしている役割
- (1)報告書作成への協力
今述べた東電福島原発事故に関する報告書に限らず、普段からアンスケアー報告書の作成にあたっては、我が国は「アンスケアー国内対応委員会」による支援を行なっています。アンスケアー報告書は、①年次会合で課題を決定⇒②世界中の調査研究資料を収集・整理・評価⇒③指名されたコンサルタントと事務局が報告書案を作成⇒④加盟各国にコメントを求める⇒⑤年次会合でさらに精査⇒⑥報告書最終案を取りまとめ―――という手順で作られます。
このうち、④のコメント作成に当たっては、高度の専門知識が必要とされます。そこで我が国では、文部科学省や原子力安全委員会事務局などの支援のもとに、18人の委員と100人近いコメンテーターで「アンスケアー国内対応委員会」(現委員長:児玉和紀)を組織して報告書案を精査し、アンスケアー事務局に対し、コメントや必要な追加情報を提供して支援しています。この国内対応委員会の事務局は、放射線医学総合研究所に置かれています。
- (2)放射線リスク評価の基礎データを提供
広島・長崎で長い年月にわたって実施されてきた原爆被爆者を対象にした調査研究は、アンスケアーの放射線健康リスクに関する情報源として重要な役割を果たし続けてきました。最近では、2006年版報告書に掲載された「放射線とがんの疫学研究」、「放射線被ばく後の心血管疾患およびその他の非がん疾患に関する疫学研究」、「電離放射線の免疫系への影響」の3報告において、原爆被爆者調査の結果が重要な役割を担いました。これらの報告書は日本語にも翻訳され、放射線医学総合研究所から出版されています。
今後、広島・長崎で若年齢で被ばくした人々のリスク評価についても、我が国から詳細な情報が提供される見込みで、被爆国・日本にしかできない更なる貢献として期待されています。
- (3)代表団派遣と議長への就任
アンスケアーは、設立当初はニューヨークで、最近はウイーンで年に一度会合を開いています。我が国も、1956年の初回会合から数名の代表団を毎回派遣してきました。代表は、初代の都築正男氏から(以下敬称略)、塚本憲甫、御園生圭輔、熊取敏之、寺島東洋三、松平寛通、平尾泰男、佐々木康人へと引き継がれ、第55回会合(2007年)より米倉義晴(放射線医学総合研究所理事長)が務めています。
なおこの間、1985-86年にかけて熊取敏之が、2004-05年にかけては佐々木康人が議長の重責を担い、我が国としてアンスケアーに更なる貢献をすることができました。
- (4)"縁の下"の支援
アンスケアーの活動の中核とも言うべき、膨大な内容の報告書の数々。これを世界中の専門家・研究者等が閲読できるようにすることは、極めて重要です。そこで、2006年、放射線医学総合研究所の放射線防護研究センターでグループリーダーを務めていた土居雅広氏(故人)が、それまで紙媒体で見るしかなかった1958年版から1996年版までの13本の主要報告書を、大変な労力と時間をかけてPDF化されました。土居氏のおかげで、今では初回から最新回まで全ての主要報告書が、アンスケアーのホームページからダウンロード可能となっています。彼の献身に、敬意をささげたいと思います。
また、アンスケアーが東電福島原発事故に関する報告書の作成に取り組んでいることは既に述べましたが、この作業は事故を受けて急きょ追加されたものなので、アンスケアー事務局は予期せぬ人員不足に直面することとなりました。そこで、放射線医学総合研究所からも1名の研究員をウィーンの事務局に派遣し、報告書作成の支援に専任してもらっています。来年の発表にむけて迅速に作業を進める必要があり、とても重要なサポートとなっています。
―――以上、アンスケアーについて出来るだけ平易な解説を試みさせていただきました。設立当時のミッションを忘れることなく、これからも、日本はアンスケアーに貢献し、アンスケアーは世界に貢献し続けてゆきます。
(佐々木 康人 アンスケアー元議長
(独)放射線医学総合研究所・前理事長、国際放射線防護委員会(ICRP)前・主委員会委員)
(公財)放射線影響研究所主席研究員)
参考資料
- アンスケアーホームページ(アンスケアーについての各種情報あり)
http://www.unscear.org/ (英語) - アンスケアー主要報告書のダウンロードは、こちらから
http://www.unscear.org/unscear/en/publications.html (英語) - 佐々木康人,土居雅広.国連による放射線影響調査-アンスケアー半世紀の歴史と将来展望-.エネルギーレビュー,2006;40-43.