平成23年10月19日
今回の原発事故により、福島県を中心に広い範囲で放射性物質による環境汚染が引き起こされました。そして、この汚染は土地にとどまらず、食品にも広がりを見せており、放射線被ばくによる健康への影響について、多くの方々が心配されています。また、原発事故収束に向けての作業に携わっている方々の健康への影響にも、留意せねばなりません。
人工放射線や自然放射線の被ばくは、健康にどう影響を及ぼすのか? 過去数十年にわたる調査研究により、その関係は次第に明らかになってきました。そして、この調査研究の中で大きな役割を担ってきたのが、《疫学調査》という手法です。このコーナーの第16回で長瀧先生が少し言及されていますが、本稿では、この手法について更に詳しくご説明します。
- "1人"を診てもわからない、放射線とがんの関係
放射線被ばくにより、がんや白血病が増えてくることはよく知られています。しかし、がんに罹ったある個人の方を、最新の診断機器でいくら検査したとしても、そのがんが「放射線によって」引き起こされたものかどうかの判断はできません。「放射線で引き起こされたがん」と、例えば「タバコで引き起こされたがん」とは、現代の医学では区別がつかないのです。
結核菌で肺結核が引き起こされたり、赤痢菌で赤痢が引き起こされるなど、発生要因が明確に特定できるものとは事情が異なり、がんは放射線のほかにタバコや食事などの生活習慣や、環境汚染、ウイルス感染など、多くの環境要因が関わって発生してきます。「放射線被ばくに特有のがん」が生じるのであれば、放射線の影響を特定するのはやさしいのですが、現実にはそのように特定することは非常に困難です。
そこで、放射線による健康影響の有無とその程度を把握するためには、「被ばくした方々」と「被ばくしていない方々」について、がんやその他の病気の頻度が「被ばくに伴って増えているかどうか」などを科学的に分析する調査手法に頼らざるを得ないことになります。このような調査手法を《疫学調査》と言います。
- 誤った結論を導かない為に―――何重ものチェック項目
当然のことではありますが、疫学調査を行うにあたっては、次の点が必須条件になります。
- 調査集団の設定が、きっちりと定義できていること
- その集団に属する個々人の被ばく線量の推定と、発病などの健康異常が、できるだけ正確に把握できていること
その上で、しかるべき調査期間を経た後に、被ばく線量と病気の頻度などについて統計解析を行い、「被ばく線量とともに病気が増えているかどうか」などを詳しく分析します。しかし、そうした統計解析の結果で病気が増えていると判明しても、それで直ちに「放射線が主な要因になっている」と結論付ける訳にはいきません。
- 集団の選び方に問題はなかったか
- 放射線以外の要因が病気の頻度に大きく関わっている可能性はないか
- 偶然の結果ではないのか
―――などを、慎重に検討する必要があります。さらに、
- 同じような結果が、別の調査集団でも見られるかどうか
- 放射線被ばくとの関連性は十分に強いか
- 医学的に見ておかしな結果ではないか
―――などをチェックするステップを踏んで、ようやく最終的に「放射線による健康影響であるかどうか」の判断をすることになります。
ここまでの説明で、放射線の健康影響と疫学調査について基本的なことを述べさせていただきました。影響の有無や程度を理解するために、疫学調査がどのような意義や役割を持っているかについて、ある程度理解していただけたかと思います。
- 健康情報の蓄積で、更なる健康の確保を
現在、福島県の「県民健康管理調査」(注1)事業や「東電福島第一原発作業員の長期健康管理計画」(注2)が、実施あるいは計画されていることをご存知の方も多くいらっしゃると思います。その目的とするところは、あくまで県民や作業員の方々の健康増進や疾病予防といった健康管理であり、その重要性や意義については改めて申し上げるまでもありませんが、この取り組みには他にも重要な意義を見出すことができます。それは、こうした健康管理をしっかり行うことで、そこからまた《健康情報が蓄積される》ということです。
このような調査では、県民の方々や作業員の方々のご理解とご協力が必須になります。取り組みが順調に進み、「皆さんの健康増進と疾病予防に役立つ」⇒「健康情報が蓄積される」⇒「それによって更に皆さんの健康増進と疾病予防に寄与できる」という好循環が生まれることを、そしてその好循環を生み出すために疫学調査の手法が一助になることを、切に望んでいます。
(参考)
- 注1 福島県ホームページ
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/21045b/ - 注2 厚生労働省ホームページ
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001plbx.html
児玉 和紀 (財)放射線影響研究所 主席研究員
原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)国内対応委員会委員長