福島県には、美味しい農作物が沢山あります。米、野菜をはじめ、桃、さくらんぼ、りんごといった果物など、生産量も日本で有数ですし、その品質も大変優れています。しかし残念なことに、福島県産というだけで、放射能への不安から、たとえ安全な農作物であっても買い控えるという方がいます(1)。こうした不安を払しょくし、風評被害を乗り越えるためにはどういった情報が必要か、あらためて考えてみたいと思います。
- 漫画「美味しんぼ」の騒動
先日、風評被害の背景にある問題を再認識させられる出来事がありました。漫画「美味しんぼ」の中で、福島原発を訪問した主人公が鼻血を出すシーンが描かれ、「放射能の影響か」と世間で騒がれたのです(2)。しかし実際には、漫画の中で書かれている放射線量であれば、もし1時間そこに滞在したとしても、主人公が受ける被ばく線量は極めて少ない量です。この程度の少ない放射線被ばくが原因となって鼻血を引き起こすことは、科学的にはありえません。結果的にこの騒動は、放射線の影響というものがいかに人々に理解されていないかを示すことにもなったと言えます。
- 「確定的影響」と「確率的影響」
放射線の影響は、「放射線量」によってまったく違います。そのため、まずは放射線量を知ることが大事です。その上で、放射線の健康影響には、「確定的影響」と「確率的影響」の二種類あります。
「確定的影響」とは、「ある一定以上の線量を放射線被ばくすると発症するが、それ以下の線量では発症しない」というものです。代表的な現象は、血液障害、皮膚の紅斑、脱毛などです。前提として、このような現象は非常に高い線量に被ばくした場合にのみ現れます。
「高い線量」の身近な具体例としては、放射線がん治療があります。放射線がん治療では、がんの部位に限って標準的に2千ミリシーベルトを毎日30日間放射線照射しますので、合計すると6万ミリシーベルトという高い線量に達します。そのため、たとえば脳腫瘍の治療で頭に放射線を照射した全ての患者は、照射された部位のみ毛が抜けます。その他にも、白血球と血小板が減少することもあります。繰り返しますが、これらの現象が引き起こされるのは、「高い」線量の場合だけです。
一方、放射線の「確率的影響」で代表的なのが、今も多くの国民の皆様が不安を抱いている「放射線による発がんの増加」です。例えば全身に一度に1000ミリシーベルト被ばくすると、ある一定の割合でがんが増えることが分かっていますが、当然全ての人にがんが発症する訳ではありません。それでは100ミリシーベルト以下の放射線量ではどうでしょうか?古くから科学的に研究されているテーマですが、100ミリシーベルト以下のような「低い」線量による発がんの増加を証明することは、今に至っても非常に難しいのが実情です。がんの原因には多くの因子が関係しており、100ミリシーベルト以下の低い線量では、食生活、喫煙やストレスなど生活環境に依存する他の因子に隠れてしまい、放射線の影響を特定することが出来ないと言われています。
- 放射線の食品規制値について
現在我々が食べている農作物については、放射性セシウム量が「1キログラムあたり100ベクレル」という規制値以下のものしか、流通していません。一方欧米では、「1キログラムあたり1千2百ベクレル」という規制値を採用しており、わが国は世界的に見ても非常に厳格な食品規制値を採用していることがわかります(3)。
放射線・放射能に対して多くの方が不安を抱くのは、当然のことだと思います。しかし一方で、過度の不安から生まれた誤った認識が原因となってさまざまな風評被害が生じ、まったく問題のない非常に美味しい福島県の農作物を買い控えるようなことは、残念としか言いようがありません。多くの方々の過度の不安を解消し、風評被害をなくすためにも、正しい情報を多くの方々と共有することがこれからも引き続き重要であり、私もその務めを果たして参ります。
遠藤 啓吾
京都医療科学大学 学長
群馬大学名誉教授
元(公社)日本医学放射線学会理事長
元(一社)日本核医学会理事長
参考文献