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首相官邸 Prime Minister of Japan and His Cabinet
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東電福島原発作業者の健康管理について

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  東日本大震災からの復興に向けて、東北3県では3年目の厳しい冬を迎えようとしています。今なお避難生活を余儀なくされている被災者に、心からお見舞い申し上げます。
  先日、平成25年11月20日に、IAEAの福島復興支援の責任者と一緒に、初めて原発施設内への視察に入る事ができました。その前に立ち寄ったJヴィレッジ(1997年に開設された日本サッカー協会トレーニングセンター)は、震災直後に訪れた時とは完全に様変わりし、一見普段の状況に戻ったかのような静寂さに包まれ、全国からの応援メッセージが施設内に溢れていました。
  ここでは、現在の原発施設の現場状況のご報告を通じて、被ばく医療の課題と作業者の健康管理についてお伝えしたいと思います。

震災直後の状況

  現在作業者が置かれている状況をお伝えするためにも、まずは原発事故直後のことからお話させてください。
  私が初めて福島県の「浜通り」に位置するJヴィレッジに足を運んだのは、震災直後の平成23年3月30日、福島県立医科大学の被ばく医療チームと同行した時でした。Jヴィレッジは東京電力福島第一原子力発電所(第一原発)から約20km、同福島第二原子力発電所(第二原発)から約10kmの位置にあり、広大な敷地を有していたことから、自衛隊や消防、警察なども、ここを原発事故対応の最前線における現地調整所として活用していました。
  過酷な、騒然とした現場で疲労困憊し、施設内で作業者が所狭しと仮眠をとる状況でした。外では、作業者が限られた時間内での作業終了後に外部と内部の被ばく線量を測定していました。また、除染の為の仮設テントや、山積みにされたタイベックスーツや放射能汚染物などで満載の仮置き場などがありました。まさに、系統だった対応が極めて困難な状況において、緊急被ばく医療の体制構築も事故直後から暗中模索されていたのです。
  このJヴィレッジから、作業員らが、無言のうちに一日何交代も送迎バスに乗り、まさに危機的な第一原発、そして第二原発施設内へと完全装備で出かける姿に、ただただ有難いと同時に、申し訳ない気持ちで一杯でした。
  こうした状況の中、チェルノブイリ原発事故とは異なり、外部放射線被ばくによる急性障害の重篤患者を出さなかった事は奇跡的でもありましたが、それでもある程度の内部被ばくは避けられませんでした。

第一原発・第二原発の現況

  今回私が訪れた11月20日(水)に、第一原発で作業にあたった作業者はのべ3950名でした。土曜日はその3分の2、日曜日は3分の1の人数で交代制による事故処理が継続的に行われています。その日は、4号炉からの使用済み燃料の取り出し作業が開始されてから数日目であり、小野明所長らが免震重要棟の司令本部で、緊張した面持ちで全体を統括しておられました。原発施設周辺から4号炉、そして1号炉にかけての海岸線の道路を車で移動しましたが、事故後に散乱していた瓦礫や障害物は取り除かれ、唯一道路外に津波で流され横転して壊れた車や倉庫などが、建屋の壁際に無惨な状態で積み重ねられていました。
  一方、第二原発への入構者数は一日のべ2120名、土日はその半分の数で、主に監視作業が続けられています。同じく11月20日、第二原発では設楽親所長らの説明を受けた後、実際に原子炉3号機の建屋内に入り、稼動停止して冷え冷えとした内部を視察しました。原子炉の直下の空間線量は毎時0.3mSvと、原発の中には平時においても被ばく線量が高い場所があることが再確認されました。また非常電源装置の部屋等では、あの日の津波の痕跡の高さに驚愕しました。
  この両方の施設を視察できた事で、第二原発の整然とした静かな管理体制と比べ、第一原発がいかに困難な状況にあるかがより鮮明となりました。

健康管理の体制

  原発作業者の平時の健康管理は、従来の法令に基づいて実施されているのですが、今回のような原発事故は想定していませんでした。だからこそ、収束から廃炉までの長期にわたる危険環境下での健康管理には、万全の体制整備が必要となります。
  原発事故直後に繰り返された水素爆発の現場に被ばくを覚悟で逃げずに踏み止まり、活動にあたった高線量被ばくの作業者に対する健康管理が、現在政府と東電の責任で行われています。特に、甲状腺等価線量100mSvを超える作業者約1800名に対しては、事業主である東京電力が、平成23年10月に国が定めた「東京電力福島第一原子力発電所における緊急作業者等の健康の保持増進の為の指針」に従って特別な健康管理を行なっています。その他、当時の危機的状況下で緊急作業にあたられた約2万人(概ね平成23年12月中旬まで)についても、同じように長期的健康管理が図れています。
  第一原発の救急医療室については、医師、看護師、救急救命士、事務担当者の4名が常駐する24時間体制が、多くの関係者の応援で成り立っています。一方の第二原発では、通常の安全確保ができているという判断のもと、医師、看護師、事務の3名が毎日午前8時半から午後5時10分まで勤務されています。
  このように、過酷な労働環境下での東電福島原発作業者の健康管理については、法令や指針に従って厳格な安全確保に努めながら行われているのですが、普段の体調管理などについても万全の注意が必要となります。作業者一人一人の基礎疾患(元々持っている慢性の疾患、持病)への対応や、夏場の熱中症対策、冬場の寒冷対策に加えて、緊張の日々が続くことになるのでヒューマンエラーの防止策なども必要です。
  もし現場で労災事故に遭遇した時、どのように傷病者を手当てし、後方支援病院へ搬送するのか。さらに、最前線である原発施設内の医療室に踏み止まり、作業者の為に現場で尽力される医師、看護師、検査技師らをどう確保するのかなど、事故後から関係者の間で協議が重ねられていました。すでに緊急事態ではないと言っても危険環境下での作業が続いているわけですから、法令に基づく健康診断や保健指導を行えばよいというわけではなく、常に緊張感をもって非常事態に備える必要があります。

作業者たちの健康状態

  幸い原発作業者の現在の被ばく線量は十分に安全に管理され、1ヶ月間で平均0.8~1mSv前後です。今後も放射線業務従事者の被ばく線量限度(年間最大50mSv、5年間で100mSv)を超さない範囲での作業が続くものと予想されます。しかし、より危険な環境下での作業に携わる熟練作業者ほど被ばく線量が高い傾向があり、長期的な人材確保に向けた努力と同時に、更なる労務環境の改善が求められます。政府と東電には、引き続き十分なご支援をお願いしたいと思います。

“ウェブ会議”を通じた後方支援体制

  こうした厳しい環境下での最前線の日々の医療には、必ず後方支援体制の整備が不可欠です。そのため、福島県立医科大学の被ばく医療棟(二次被ばく医療機関で、現在は「放射線災害医療センター」に改名)を後方支援の拠点として、事故直後の平成23年3月末から365日毎日、ウェブ会議が開催されています。
  その中で顔の見えるネットワークが構築され、時々刻々と変化する情報の共有や、医療相談や具体的な体制強化についての話し合いが行われている事は特筆すべきことで、これまで多くの課題をこのウェブ会議で解決しています。
  現在では参加施設も増えて、第一原発救急医療室、第一原発免震重要棟、第二原発医療班、オフサイト医療班、放射線医学総合研究所といった中核施設以外にも、広島医大学緊急被ばく対策室、日本救急医学会、厚生労働省DMAT事務局、産業医科大学医療支援チーム、日本放射線技師会、いわき共立病院、日本救護救急財団、浪江応急仮設診療所などが登録され、不定期ですが参加しています。この原子力災害医療拠点ウェブ会議は、自発的に発足し、運営され始めたものですが、今では専門家同士の必要不可欠なコミュニュケーションツールとなっています。

今後に向けて

  福島での原発事故が起きる前では、限定的なシナリオ想定の下で原発周辺地域での対応訓練が行われ、被ばく医療体制が構築されていました。今回の事故を踏まえて、被ばく医療体制を再構築する必要があるでしょう。特に、福島県立医科大学の「緊急被ばく・災害医療学講座(仮称)」の新設が、地域の原子力防災拠点として期待されています。
  事故後も各地で再稼動に向けた原子力災害訓練が大規模に行われていますが、実際に事故が起こった福島県の現実を直視し、今も毎日危険と隣り合わせの中で原発作業者が日夜過酷な状況で働いていることを忘れてはなりません。
  現在進行中の現場のニーズに応じた放射線健康リスク管理、そして被ばく医療の包括的な支援体制の改善と整備が喫緊の課題です。

  最後に重ねまして、事故直後から今日まで、無言の中で苦労を重ねられている東電福島原発作業者の日頃のご尽力に、心より感謝とお礼を申し上げます。


山下俊一
福島県立医科大学副学長
長崎大学理事・副学長(福島復興支援担当)

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