- はじめに
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東電福島第一原発事故については、被災者の思いに寄り添いながら、収束に向けて引き続き放射線対策を進めなければなりません。
福島での原発事故のみならず、過去をさかのぼれば原爆の投下や、核燃料工場での臨界事故も経験してきた日本では、多くの方が「放射線といえば、人体への悪影響を及ぼすもの」という印象を持っているのも当然のことだと思います。
一方で、あまり知られていないかもしれませんが、放射線は現代社会のいろいろな場所で有効に利用されています。私自身は、医師として放射線を診断や治療に有効に活用してきましたが(第6回コメント「祖父母の幸せ~放射性物質のもう一つの顔~」)、医療以外の分野でも様々に活用されています。
- 放射線のさまざまな利用法
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~体内検査~
物質を通り抜ける放射線の性質を利用すると、普段は外から見えないものの内側を見ることができます。病院では、体内を診るために毎日多くのエックス線(放射線の一種)検査が行われており、特にエックス線CTによる正確な画像診断は、現在の医療では欠かせません。わが国では、年間約3千万件のCT検査が行われています。胸や骨のエックス線撮影、乳がんを診断するマンモグラフィ(乳房撮影)、胃・大腸検査などを含めると、年間約1億2千万件ものエックス線検査が行われています。
エックス線検査を行うのは、現代に生きる私達だけではありません。エジプト王子だったツタンカーメンの黄金のミイラは、昨年日本でも展示され、多くの方が見学に訪れました。ツタンカーメンはなぜ若くして亡くなったか、病気だったのか、あるいはだれかに殺されたのか、多くが謎に包まれていました。しかし、世界の共有財産であるミイラを解剖する訳にはいきません。そこでミイラをエックス線CTで撮影したところ、頭蓋骨の状態から、ツタンカーメンは頭部への打撲で殺されたのではなく、病気による死亡ではなかったか、と推察されました。また、奈良の興福寺の阿修羅像も、エックス線CTを使ってその内部がどうなっているか調査されたそうです。~外から見えないものの中を見る~
空港で航空機に乗る前の手荷物検査では、弱い放射線を照射して荷物の中に危険物が無いことを確かめています。放射線を使うことで、手荷物を開けることなくスムーズに検査することができます。
さらに、建物や橋梁など構造物の内部の異常を、壊すことなく検査する事にも使われていますし、ジェット機のエンジンに異常が無いかどうかの検査にも放射線が使われています。「非破壊検査」と呼ばれる方法で、胸や骨のエックス線撮影と同じ原理です。~がん治療~
放射線によるがん治療は、手術や抗がん剤治療に比べて「体にやさしい」として、治療患者がどんどん増えています。その数は、年間16万人を超えており、新しい放射線治療法が次々と開発されています。
たとえば、声が枯れる症状が現れる喉頭がんでは、最も多く選ばれている治療法が放射線治療です。手術して声帯が無くなると声が出なくなってしまいますが、放射線治療だと、声を失うことなく治すことが出来ます。
また、乳がん患者も年間3万人以上が放射線治療を受けており、全体の中で最も多くなっています。
原発事故で問題になっているヨウ素-131、セシウム-137も、病院では、がん治療のための薬剤や線源(放射性物質を小さい粒状にしたもの)として欠かせないものでもあるのです。(第6回のコメント参照)。~減菌・殺菌効果~
大量の放射線は、細胞に障害を起こし、生命に悪影響を与えます。一般的には害悪だと思われているこの性質を逆に利用する例も、実は身近にあふれています。たとえば病院で使用する注射器、注射針は、放射線で滅菌したものが使われています。かつては、集団予防接種等において、ひとつの注射器を何人かの人に連続して使っていたことがあり、そのために多くのB型肝炎を引き起こしてしまいました。しかし現在では、放射線で滅菌した安全な注射器、注射針を使い捨てで使用しています。
食品にも、殺菌のための放射線照射が行われています。日本では、じゃがいもの発芽防止用のみに利用していますが、欧米では、たとえば胡椒にも利用されています。薬物よりも、放射線の方が、人体への影響が小さいと考えられているからです。~工業製品の素材~
放射線は工業分野でも利用されています。放射線には分子と分子を結びつけ、より強い分子を作る性質があります。物質を変化させるこうした性質を利用して、高速走行に適したラジアルタイヤが製造されています。高熱に強い電線や、コンピューターに使われているシリコン半導体の製造過程の一部にも、放射線が利用されています。いま人気のハイブリッドカーにも、放射線照射された部品が搭載されており、快適な走行に役立っています。このように放射線は、そのユニークな性質から、いろいろな形で利用され、我々の生活に役立っています。ただし、安全に、きちんと管理して利用することが大前提となります。そのため、医療以外の分野においても、放射線を利用するには資格が必要なのです。
遠藤 啓吾
京都医療科学大学 学長
群馬大学名誉教授
元(社)日本医学放射線学会理事長