平成23年8月11日
- 宇宙ステーションにも似た労働環境
東電福島第一原発事故直後、自発的に現場に残って収束作業に専心した作業員たちを海外のメディアはFukushima 50 heroesと称賛しました。日本中が、いや今や世界中が固唾を呑んで見守っている第一原発の作業現場には、昨今では、多い日には3千人超、週末でも千人から2千人近くの作業員が働いています。
彼らが働く環境や休憩する場所は、その一部が報道されましたので皆さん既にご存知と思いますが、必ずしも快適なところとは言えません。例えば、第一発電所構内では、個人線量計に加えて全面防護マスク、タイベックスーツ(防護服)、綿手袋の上にゴム手袋、シューカバーの着用が義務付けられています。更に作業場所によっては、この上にアノラック(厚手の上着)を着たり、酸素ボンベ付きの人工呼吸器を背負いこむこともあります。これらを身に着けることは、とても重くて暑苦しく、身体に負担が掛かります。しかも、高温多湿の屋内作業の場合は、更に暑苦しさが増します。作業現場に近く、かつ比較的線量が低くて対策本部などの中枢機能を置くことができる環境を有するのは、免震重要棟という建物のみです。それでも、休憩所が増設されるなど、以前に比べれば状況は少しずつ改善されつつあります。
このような労働環境の厳しさを考えるにあたり、現時点で福島第一原発が置かれた地理学的特徴は、宇宙空間に浮かぶ宇宙ステーションに例えてみると、理解しやすいと思います。両者は、次のような点で類似しています。- ① 外部から容易に近づけない(立ち入り禁止区域にあります)、
- ② 身軽に自由に作業することができない
(空間線量率が高く、個人線量計、個人防護装置なしでは作業はできません)、 - ③ 外部から容易に食物などを持ちこめない
(持ち込む段階で食物が汚染し、それを食べた人が内部汚染を来す恐れがあります)、 - ④ 持ち込んだ物は持ち帰れない(一旦持ち込んだものは放射能汚染物質と見做されてしまいます)、
- ⑤ 外から持ち込んだ物を廃棄処理することができない(廃棄する場所がありません)
---これらの制約のため、福島第一原発の作業現場は通常の労働環境と大いに異なり、一般的な常識が通用しません。こうした理由から、未だに作業場内での作業員の食事はレトルトパック、パンが主体です。
但し、こうした制約は福島第一原発だけに限ったものです。現に約10kmしか離れていない第二原発の構内では、作業現場でない限りマスクと綿手袋の着用のみで大丈夫ですし、外部の業者が作ったお弁当を食べています(但し、職員が取りに行っていますが)。宇宙ステーションの喩えは、第一原発の現場にのみ当てはまることで、福島県全体の事情とは無関係ですので、誤解のないようお願いします。
- ゼロから出発した救急医療体制つくり
福島第一原発では、残念なことに東日本大震災以降、常勤の産業医が不在となり、3月11日からしばらくの間は、医師ゼロ状態となりました。そこから現在の体制に至るまでには、次のような経緯を辿ってきました。
まず事故から約1週間後、他の電力会社の産業医等の協力で、一応の診療体制が免震棟内にできあがりました。もっとも、平日のみ、それも午前10時から午後4時までという限定的な時間帯で、免震棟内の医療用スペースも十分なものではありませんでした。
並行して、事故発生後の比較的早期から、日本救急医学会の専門医、三次被ばく医療機関である広島大学病院からの医師、自衛隊の医師、東京電力病院の医師等が、オフサイトセンター(対策本部が設置されている施設)の技官、福島医大病院等とネットワークを組み、不測の事態を含めた救急医療に応需する医療体制を組織してきました。
しかし、上記の医師不在の時間帯に、不幸にして作業員の一人が急死されるという事態が発生しました。これを契機に、日夜、厳しい労働環境下で懸命に収束作業に従事されている作業者の安心を担保するために、構内に24時間体制の救急医療室を整備することが喫緊の課題として突きつけられました。
一刻の猶予も無い中、5月初旬から原発担当の細野総理補佐官(当時)の肝煎りで厚生労働省、文部科学省、東電の関係者に私達緊急被ばく医療関係者が加わって何度か話し合いがもたれ、- 現場に隣接し十分なスペースを確保できる福島第一原発の5号・6号機サービス建屋内に、『救急医療室』を整備すること
- 配置する医療チームは、被ばく医療に詳しい救急科専門医と、将来的には看護師、放射線管理・測定の専門家の3名で構成すること
- 事務局として、三次被ばく医療機関の広島大学に「福島第一原発救急医療体制支援ネットワーク」を立ち上げること
---などが決まりました。
その後、短い準備期間にもかかわらず、東電の精力的な準備作業の結果、免震棟内で5月29日から、産業医大や労災病院等の協力を得て24時間の診療体制が始動。更に、7月1日からは、必要な医療機材も運び込まれて上記の『救急医療室』も開設されました。今のところは医師一人、東電の職員一人だけが詰めていますが、将来的には看護師と放射線管理、測定の専門家も加えて行こうと考えています。
今、現場では常時2~3千人の作業員が働いていますから、免震棟に常駐する産業医のもとには、昼の休憩時に頭痛、腹痛、発熱、風邪症状などを訴える人達が引きも切りません。また、暑い季節に入って熱中症や体調不良を訴える人が多くなったため、この間、予防のためきめ細かな対策がとられてきました。「熱中症管理者」の配備と教育、作業者自身の体調管理の推進、午後2時から5時までの炎天下の作業の禁止、休憩所の整備、クールベスト等の着用等です。こうした対策のお蔭で、重症の熱中症は今までのところ発生していません。
これからも、福島第一原発の事態を一日も早く収束するために頑張っておられる現場の作業者の方々の安心と安全を確保すべく、私達なりの方法で、全力でお手伝いをしてまいります。
(前川 和彦・東京大学名誉教授
(独)放射線医学総合研究所緊急被ばく医療ネットワーク会議委員長、放射線事故医療研究会代表幹事)