平成28年3月11日


閣議後定例記者会見


1.冒頭発言

おはようございます。
大震災から早いもので今日で5年になりますが、大震災によってお亡くなりになったすべての皆様に、心から哀悼の意を表します。同時に、今なお避難生活を強いられている方々を初め大震災の被害を受けられました皆様に、改めて心からお見舞いを申し上げます。
これまでの集中復興期間から、今後5年は復興・創生期間に入ることになりますが、2020年大会を復興五輪として、オリパラを通じて被災地の復興に貢献できるよう努めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
私からは、今日の報告はそれだけであります。

2.質疑応答

(記 者)
幹事社から代表質問を2点させていただきます。
今の発言でもありましたけれども、東日本大震災から5年の節目を迎えました。大臣もかねがね被災地にも足を運ばれて、東京オリンピック・パラリンピックに対して被災地開催の思いを示されております。復興五輪の視点からどのような施策を打ち出されていくのかということと、オリパラの誘致というものが復興においてどのように生かされていくのか、また一方、その難しさということもあると思うんですけれども、その辺をどのように認識されているのかをお願いします。
(大 臣)
先ほど言いましたように、2020年のオリンピック・パラリンピックは、その大きな意義の一つとして、被災地の皆さまがオリンピック・パラリンピックの開催を通じて、これまで世界の皆さまに物心両面で御支援いただいたその復興というものを、改めて発信していきたいということ、それをいろいろな施策を通じて支援をしていきたいということでありますが、とりわけホストタウン構想等によってそれぞれの地域にアスリートの皆さんに行っていただいたり、あるいはそうした交流を通じて被災地の皆さまが元気を取り戻し、そして勇気をもらい、その中で復興に邁進していただけるような、そんな支援をしていきたいと思っております。
同時に、被災地の活動を支援するためにも私も何回かお伺いしてまいりましたが、できればキャンプ地や、あるいはオリンピック・パラリンピック前後のいろいろなプレイベントや国際大会もありますから、そうしたものの開催に努めていきたいということ、また、オリンピック・パラリンピックの開催、そして2019年のラグビーワールドカップがありますが、こうした大会を何とか被災地で開催できないものかということについてこれからも努力していきたいと思っております。
とはいえ、過般も釜石市に行ってラグビー場の建設予定地を見てまいりましたが、復興はまだまだだなという印象を持ちました。ちょうどラグビー場の建設予定地は小学校の跡地で、小学校も今建設の最中でしたが、駅周辺はほとんど壊滅状態で、槌音高いと言いながらもまだまだ進んでいないと感じました。そしてもう一つ難しいのはそうしたいろいろなインフラや駅、また住宅等が整備できたとしても、安心してそこで生活できるか、戻ってこられるのかという被災地の皆さまの思いであり、復興の難しさというものを改めて感じたところでした。
今、私の地元であります山形にも約3,000名の避難者がいらっしゃいますが、そういう皆さまからも、「戻りたいけれども、戻ったときの生活ができるのか」とか、あるいは「ローンを払えるのか」とか、そうした悩みを聞きますし、また「自分たちは山形県に住んでいますが、主人は今も福島に通っています」とか、そうした皆さまのお話を聞くにつけ、こうしたオリンピック・パラリンピックの開催あるいはその準備を通じて、こうした皆さまの気持ちを少しでも高め、元気に活動できるように、これからも支援していきたい、協力していきたいと思っています。
(記 者)
2問目です。話は変わるんですけれども、先日プロ野球の巨人軍から、賭博に関与した4人目の選手が出まして、昨年秋の調査からかなり時間が経っての告白ということが明らかになりました。NPBや球団自身が調査することの限界というのも指摘されていますが、大臣としての所感をお願いいたします。
(大 臣)
プロ野球というのは子供たちに夢と希望を与えてくれますし、今でもおそらくスポーツとして一番ファンが多い競技だと思っております。それだけに、そこでプレーをする選手がこうした不正行為をされるというのは言語道断でありますし、大変残念な思いであります。
これは本人がどうこうもありますが、それ以上に真面目にプレーしている選手の皆さんにとって慙愧にたえない行為ですし、そうした意味でも調査を徹底して、そしてきちっと膿を出し切ることが大事だと思っております。コミッショナーを初めとして今調査をされているようでありますが、徹底した調査を経て、一日も早くファンの皆さんや国民の皆さんの信頼を取り戻してくれることを期待しております。
(記 者)
今日聖火台のワーキング・チームが初会合ということで、最初に基本的な確認ということでお伺いしたいんですけれども、いろいろな大臣がいろいろおっしゃっているんですけれども、まず聖火台の設置場所というのは、もともとその大会までにもっと後の段階で決めればいいという話だという認識だったのか、ただ単に決めることを忘れていたのかという、その点はどうだったのかお聞かせください。
(大 臣)
前にも私は申し上げましたが、従前のザハ案のときにも「大体この辺ですよね、そして点火はこの辺で、そして設置はこの辺ですね」という認識は、皆さんお持ちでした。その上で今回の整備計画を作ったときに事務的に議論はされておりました。ただ、昨日も委員会で申し上げましたが、IOCとのいろいろなこれまでの連携あるいは話い合いの中で、正式なルールと言うかどうかは分かりませんが、大体2、3年前にこうしたセレモニーの検討を始め、そしてその上で聖火台について考えるということでありましたから、今回の要求水準には入れていなかったということです。そういう意味では今回皆さまにいろいろ御心配をおかけしましたので、改めて私のもとで今日ワーキング・チームをスタートして、そして具体的な場所等についてはセレモニー等に関係しますが、およそどこで点火するか、中で点火するか外で点火するか、あるいは設置をどうするかといった点については決めていきたいということであります。
(記 者)
関連して。となると、今になって「今の時点で決めなきゃいけない」といった議論になったのは、IOCから何かそういう話を受けたからでしょうか。
(大 臣)
いや、全くそういうことはありません。皆さま御承知のように3日に調整会議を開いたのですが、もともと調整会議を開くときに、例えば馳大臣が調整会議の委員になってからまだ挨拶や紹介をする時間もありませんでしたし、また昨年6月29日にも調整会議が開かれましたが、それからしばらく経って例えば私の方から新国立競技場の今の状況の報告、あるいは組織委員会から人事の報告等、それぞれの報告がありました。その中でそうした聖火台についてどうするのかという話もあって、皆さまで情報は共有しましょうということになって協議することにいたしました。
その上で例えばガス管をどうするかとかそういうことなども当然あるわけですから、そういうことを踏まえると、中に置くのか外に置くのか、あるいはどこで点火するかと、大まかな議論だけはする必要があるということになり、そして皆さんに御心配をおかけしましたので、私のもとでしっかりと皆さんに理解していただけるようにやるということで、チームを作ったということであります。
(記 者)
その調整会議で現在の進行状況というのを説明した中で…。
(大 臣)
話題になったということです。
(記 者)
話題になったということがきっかけだったと。
(大 臣)
そうです。
(記 者)
震災の話に戻りまして。大臣は、就任当初から復興五輪というのを掲げておられましたけれども、実際には新国立の問題があったりして、被災地入りも随分時間がかかったような経緯がございました。この間を振り返ってこられて復興五輪というキャッチフレーズ、かけ声というのが、どの程度今のところできているのか、何か反省や課題はあるのか、この辺のお考えはいかがでしょうか。
(大 臣)
今話がありましたように、東日本大震災はかつて大臣になる前、ちょうど5年前の3月11日、2時46分に発災したわけでありますが、私は、当時野党でありましたが、自民党谷垣総裁の下で仕事をしておりました。地震発生時ちょうど総裁と一緒におりましたが、それから3時に私が代表として自民党の災害対策本部を設置したり、現地にもお伺いしたり、いろいろな活動をしてまいりました。大臣になったときにも、私は東北・山形の生まれでありますし、隣県の事件でありますから、少しでもこうした活動を通じて、被災地の皆さまの復興あるいは元気を取り戻すためのお手伝いをしたいと、そんな思いでおりました。
ただ、今話にありましたように、就任早々、新国立競技場の問題あるいはエンブレムの問題等があって、なかなか現地に足繁く通うことができませんでした。しかし、そうした中でも地元の皆さんとの交流ということで何とかアスリートの皆さまに地元へ入っていただいて、例えば室伏さんがすぐ石巻に行って地域の子供たちと一緒に活動して励ましてくれたり、あるいは釜石シーウェイブスのオーストラリアやサモアの皆さまが残って復興に対し努力してくれたりと、そうした皆さん方の活動を見るにつけ、スポーツの持つ力は大きいなと思っておりました。こうした交流を通じて、少しでも被災地の皆さまが自信を持ちそして復興に向けて努力をしていくという活動を何としてもお手伝いをしたいという思いでおりましたから、そういう意味でもキャンプ地の問題あるいは開催地の問題、そしてホストタウン等々を通じて、しっかりとお手伝いをさせていただきたいという思いを新たにしております。
(記 者)
もう一点具体的な質問として、被災地での開催ですけれども、主要被災3県のうち岩手県はラグビー、宮城県はサッカーと決まっておりますけれども、福島県だけが未定の状態です。この検討状況と見通しに関していかがでしょうか。
(大 臣)
昨年福島にお伺いしたときに、内堀知事からJヴィレッジについて話していただき、これはもう既にスポーツ振興センターやあるいは復興庁等と協議をして、支援をしようということにしております。オリンピック種目の開催についてはできれば野球、ソフトが決定し、そしてその上で予選をやるということになれば、是非福島県でさせていただきたいと、ラグビーは岩手県、そしてサッカーの予選は宮城県でやると、被災の最も大きい福島県にそうした種目はありませんので、何とか野球、ソフトが開催決定すればというような思いで、これまでも森会長ほか、あるいは同時に、直接ロンドンへ行きましたときにはIOCのバッハ会長等々に、お願いしてまいりました。1月20日前後だったと思いますが、コーツ委員長がお見えになったときにも改めてお願い申し上げました。今年の8月までには決定する予定ですし、場合によっては5月、6月の理事会等でおおむね決まるのではないかという話もありますが、何としても被災地での開催に努力をしていきたいと思っております。