柔道家が切り拓く平和交流の道(2017年ロシア号)
山下泰裕
東海大学副学長。全日本柔道連盟会長。日本オリンピック委員会(JOC)強化本部長。柔道家。1957年熊本県生まれ。1984年ロサンゼルスオリンピック無差別級優勝、世界選手権3連覇、全日本選手権9連覇などの実績を誇る。1984年国民栄誉賞受賞。
今なお最強の柔道家の一人として挙げられる、山下泰裕氏。引退後、彼は後進の育成にあたりながら、柔道を通じた国際交流の活動に力を入れてきた。
「私が東海大学の学生だった頃、恩師で大学の創始者でもある松前重義先生が常に唱えていたのが国際交流、友好親善でした。70年代、まだ東西冷戦が続いていた中でも東海大学の道場にはソ連(当時)を含め、世界各国のトップ選手たちが集まり、仲間として共に汗を流したものです。そのような環境にあった私は、松前先生に多大な影響を受け、柔道家としての人生を歩み始めました」と山下氏は振り返る。
1991年に亡くなった松前先生は、「スポーツを通じて世界平和に貢献できる人間になってほしい」という言葉を山下氏に残したという。
「当時、私はまだ30代でしたから、過分な言葉と感じました。しかし、師に託された思いを持ち続けるうち、同じ思いを持った人たちが集まり、世界の人たちとの交流の扉が次々に開かれていきました」
山下氏は柔道を通して、異文化への理解を深め、国境を超えた友情を育むことを目的に、2006年にはNPO「柔道教育ソリダリティー」を立ち上げた。柔道の指導のためなら世界中のどこへでも足を運ぶという思いを胸に、彼は2010年にはエルサレムの道場に出向き、同じ畳の上でイスラエルとパレスチナの子供たちに柔道を指導した。すると、これがきっかけとなり、イスラエルとパレスチナ両国の柔道指導者を一緒に日本に招聘し、さまざまな国からの参加者が集うコーチングセミナーで共に研修してもらう活動へとつながった。
山下氏は各国の要人と会う機会も多い。特にプーチン大統領とは同じ柔道家としての交流を重ねてきた。
「実は、プーチン大統領が2000年9月に来日した際、多忙な中、講道館を訪れてくれました。そこで我々が六段の紅白帯を贈ると、『私は柔道家なので六段の帯の重みをよく知っています。母国に帰って研鑽を積み、一日も早くこの帯を締められるように励みたい』と、その場で締めることを丁寧に断りました」と思い出を話してくれた。
また、2005年11月にプーチン大統領が首脳会談のため来日した際、山下氏は柔道の創始者である嘉納治五郎師範直筆の「自他共栄」という書を贈った。自と他が共に栄えることを意味する、柔道の神髄を示す言葉だ。
「私の宝物でしたが、ロシアと日本が共に協力しながら発展していくことを願い、お贈りしました。すると、プーチン大統領は『これは僕だけのものにはできない。皆で共有したい』とおっしゃいました」
2017年秋、ウラジオストクで国際柔道連盟主催の国際交流大会「嘉納治五郎杯」が開催された。当地で柔道の国際親善大会が開かれてから100年になるのを記念した大会だ。ロシア政府主催の「東方経済フォーラム」と同時期の開催となった。
「隣国であるロシアと日本は互いの持ち味を生かし、協力し合える関係のはずです。両首脳のリーダーシップにより両国関係がよい方向に進むことを心から願っています。私が柔道でできることがあれば、労は惜しみません」と山下氏は微笑んでいた。