都市開発を通じてミャンマーの未来をつくる(2018年秋号)
「ヤンゴンを、住む人にとっても世界から見ても魅力あふれる都市にしたい」と 大澤は話す。
「日本で会ったミャンマーの人たちは、実に穏やかでやさしくて。2007年に初めて訪れたミャンマーで会った現地の人々もみな、お節介なまでに親切だったんです」。初めてミャンマーを訪れた時の印象について、大澤四季はこう語る。それから年に一度はミャンマーを訪れるようになった大澤は、ますますミャンマーが好きになっていく。次第に「いつかミャンマーの人々のために自分のキャリアを使えたら」と思うようになる。
日本の不動産開発会社で東京都心部の大規模な再開発プロジェクトを手掛けた後、2015年にミャンマー有数の不動産開発会社ヨマ・ストラテジック・ホールディングスに転職。約9,000人の社員中、唯一の日本人、唯一の不動産開発プランナーとして働き始めて3年が経つ。拠点はミャンマー最大の都市、ヤンゴンだ。
ミャンマーはいま、急速に都市として発展しようとしている。「ヤンゴンでは、人口が今後数十年のうちに倍増すると言われています」と大澤は言う。
これほどの急激な都市化を放置すれば、深刻な問題が起きる。住宅や雇用の不足によるスラム化、交通渋滞や麻痺、大気汚染……。そうした事態を防ぐために、ヤンゴン都市圏の今後30年の成長を見越した都市整備計画(マスタープラン)が、JICA(国際協力機構)の支援によって策定された。環境への配慮や公共交通を利用したまちづくりなど、日本の大規模な都市計画のノウハウがミャンマーでも生かされている。
大澤がヤンゴン・ストラテジックで手がけているのは、ヤンゴン市中心部のビジネス・商業地域の複合開発と、近隣の大規模住宅地の開発プロジェクト。また、ヤンゴン管区政府が設立した公社でも大規模な新都市開発計画を担っている。こちらは、道路や橋をつくり、水道や電気を通すことから始める、「ゼロからの街づくり」だ。
「私が日本の不動産開発の仕事を通じて学んだのは、街づくりとは単に建物を建てる仕事ではなく、将来の街の姿を予測し、そこに住む人々の暮らしを考えながら計画を練っていく仕事だということでした」
だから大澤が同僚ともっともよく議論するのは、目の前の物事をどう解決するか、ではなく「ヤンゴンをどんな街にしていきたいのか?」だ。「ヤンゴンならではの魅力や特徴とは何か、何を後世に残したいかをみんなで話すと、いつも盛り上がる」と大澤は言う。「みんな自分の街が好きで、誇りをもっています」
大澤がイメージする将来のヤンゴンは、安全で機能的な都市というだけではない。「ヤンゴンは、宗教建築や歴史的建築物、普段から伝統衣装を着て過ごす文化などが今も豊かに残っています。世界中のどこにでもあるような都市ではなく、伝統が息づくヤンゴンならではの個性が十分に発揮される街を、ヤンゴンの人たちと共につくっていきたいんです」
ヤンゴンが、ミャンマーが好きでたまらない大澤はいかにも楽しげに話す。ミャンマーでもっとも早く都市化が進むヤンゴンでの街づくりは、きっと、この国の未来をつくる第一歩になる。
大澤四季
一橋大学卒業後、森ビル株式会社に入社。住宅事業部や開発統括部で不動産管理運営、再開発、エリアマネジメント立ち上げの経験等を経た後、2015年に大学時代より毎年通い続けたミャンマーに渡る。ミャンマーの財閥系不動産開発会社ヨマ・ストラテジック社で2つの都市開発プロジェクトを手がけるかたわら、ヤンゴン管区政府が設立したニュー・ヤンゴン・デベロップメント社で新都市開発も担当。