麻生 太郎 (あそう たろう)

顔写真:麻生太郎

内閣法第九条の第一順位指定大臣(副総理)
財務大臣
内閣府特命担当大臣
(金融)
デフレ脱却担当

プロフィール

生年月日 昭和15年9月20日生
出身地 福岡県
衆議院議員 福岡県第8区、当選13回

学歴

昭和38年 3月 学習院大学政経学部 卒業

職歴等

昭和41年 8月 麻生産業株式会社入社
昭和48年 5月 麻生セメント株式会社代表取締役社長(~昭和54年12月)
昭和53年 1月 社団法人日本青年会議所会頭(~53年12月)
昭和54年10月 第35回衆議院議員総選挙に初当選(旧福岡第2区)
昭和63年12月 文部政務次官(~平成元年6月)(竹下改造内閣)
平成 2年 3月 自由民主党 文教部会長(~2年12月)
平成 2年 8月 飯塚商工会議所会頭(~8年11月)
平成 3年 1月 衆議院石炭対策特別委員長(~3年11月)
平成 3年11月 衆議院外務委員長(~5年1月)
平成 4年12月 自由民主党 外交部会長(~5年8月)
平成 5年 8月 自由民主党 副幹事長(~7年9月)
平成 8年10月 第41回衆議院議員総選挙に当選(福岡第8区)
平成 8年11月 国務大臣 経済企画庁長官(~9年9月)(第2次橋本内閣)
平成10年11月 衆議院財政構造改革特別委員長(~10年12月)
平成13年 1月 国務大臣 経済財政政策担当(~13年4月)(第2次森改造内閣)
平成13年 4月 自由民主党 政務調査会長(~15年9月)
平成15年 9月 総務大臣(第1次小泉第2次改造内閣)
平成15年11月 総務大臣(第2次小泉内閣)
平成16年 9月 総務大臣(第2次小泉改造内閣)
平成17年 9月 総務大臣(~17年10月)(第3次小泉内閣)
平成17年10月 外務大臣(第3次小泉改造内閣)
平成18年 9月 外務大臣(~19年8月)(第1次安倍内閣)
平成19年 8月 自由民主党 幹事長 (~19年9月)
平成20年 8月 自由民主党 幹事長 (~20年9月)
平成20年 9月22日 自由民主党 第23代総裁(~21年9月)
平成20年 9月24日 第92代 内閣総理大臣(~21年9月)
平成24年12月 副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)
デフレ脱却・円高対策担当
(第2次安倍内閣)
平成26年 9月 副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)
デフレ脱却担当
(第2次安倍改造内閣)
平成26年12月 副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)
デフレ脱却担当
(第3次安倍内閣)
平成27年10月 副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)
デフレ脱却担当
(第3次安倍改造内閣)
平成28年 8月 副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)
デフレ脱却担当
(第3次安倍第2次改造内閣)
平成29年 8月 副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)
デフレ脱却担当
(第3次安倍第3次改造内閣)
平成29年11月 副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)
デフレ脱却担当
(第4次安倍内閣)
平成30年10月 副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)
デフレ脱却担当
(第4次安倍改造内閣)
家族
趣味 ゴルフ、読書
座右の銘 天下為公(天下をもって公となす)
その他 昭和51年7月
第21回オリンピック競技会(モントリオール)
射撃(クレー・スキート競技)に日本代表として出場
一般社団法人 日本クレー射撃協会 名誉総裁
一般社団法人 バスケットボール女子日本リーグ機構 名誉会長
公益財団法人 日本釣振興会 名誉会長
公益社団法人 日本調理師会 名誉会長