硫黄島訪問等についての会見

更新日:令和7年3月29日 総理の演説・記者会見など

 (日米合同の追悼式に参列し、遺骨収集現場など視察し、太平洋戦争末期の多くの犠牲者が出た硫黄島を訪問した受け止めと、戦後80年となる中、世界各地で紛争が絶えないが日本として平和へ貢献していく考えについて、そして、硫黄島には多くの遺骨が収集されず、滑走路の下に遺骨が多く埋まっていると言われるが、遺骨収集事業を今後、どう加速するのか、また、戦後80年に合わせ、先の対戦について検証する有識者会議を設ける意向について)

 戦後80年ということになります。日中戦争から始まって、太平洋戦争に至るまで、各地で激戦が繰り広げられ、多くの将兵が、故郷を思い、そして残された家族・友人を思いながら、国家のために、そしてまた、愛する人々のために戦って、多くの人たちが命を落としていきました。中でも大戦末期、ペリリュー島もそうだけれども、この硫黄島において、本当に死闘が繰り広げられ、栗林(忠道)中将が率いる我が日本軍が米軍との間で死闘を繰り広げ、それは歴史に残る激戦でありました。80年を経て、かつて相まみえた日本とアメリカが、今や同盟国として、ここにおいて、合同の追悼のセレモニーを行うという、極めて意義深いことであったと思っております。ここに、散華(さんげ)された方々の霊を弔い、そしてまた、日米が同盟関係を更に強固にすることで、世界の平和のために共に力を尽くすという、意義のある一日であったと思っております。なお1万1千人の遺骨というものが、故郷を思いながらこの地に眠っておられるわけで、追悼の誠と、そして平和への願いとともに、この遺骨の収集を、日本政府を挙げて、一日も早く御帰還をいただくようにという思いで、防衛大臣、厚生労働大臣、あるいは本当に思いを同じくする逢沢(一郎)代議士(硫黄島問題懇話会会長)、新藤(義孝)代議士(硫黄島協会遺族代表)を始め皆さん方と共に、本日、訪問した次第であります。平和への思い、そして、日米同盟を強固にすることによって、世界の平和をつくっていく、さらには、御霊(みたま)の安らかならんことを、遺骨の最後の一柱まで、故郷にお還(かえ)りいただくことの一日も早からんことを願った一日でありました。極めて意義深いひと時を過ごすことができたことを、心から感謝いたしますとともに、御霊の安からならんことを改めて心より祈る次第であります。
 戦後80年ということになります。今まで、70年、60年、節目ごとに、我々は、平和への思いを込めて、色々な形でメッセージを発してきました。現時点において、何ら、スケジュール、あるいは発出の仕方というものが決まっている訳ではありません。やはり、どうすれば平和というものを築くことができるのかというのは、過去の検証とともに、未来への思いを込めて、我々は考えていきたいと思っております。かつて、私の政治の師であります田中角栄先生が、「あの戦争に行ったやつがこの国の中心にいる間は、日本の国は大丈夫だ。しかし、そういう人たちがいなくなったときが怖いんだ。だからよく勉強してもらわなければいかん。」ということを仰っておられました。戦後80年。15歳で少年兵で従軍された方も、齢(よわい)90を超えておられ、あるいは、戦火の中を逃げまどった方々も、相当の御高齢となっておられる。私たちは、本当に二度と戦争を起こさないために、今、何をすることができるのか、何を考えねばならんのかということを、平和を確固たるものとするために、日本国の独立と平和を確固たるものとするために、考えていきたいと思っておりますが、具体的なスケジュール等々については、まだ何ら定まっているものではございません。今、申し述べたような思いを、私自身は持っておるところであります。

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