町村議会議長全国大会
令和6年11月13日、石破総理は、都内で開催された第68回町村議会議長全国大会に出席しました。
総理は、祝辞で次のように述べました。
「皆様、こんにちは。あいつが本当になったのかとお思いの方もおられるかと思いますが、内閣総理大臣石破茂であります。用務の都合で大変勝手を申し上げまして恐縮ですが、先に御挨拶をいたします。失礼お許しをいただきたいと存じます。第68回大会の御盛会を心からお慶(よろこ)びを申し上げ、日頃からの皆様方の御活躍・御尽力に心より敬意を表する次第であります。
平成の大合併というのがありました。平成大合併の前は、町の数は1,994(注)ありました。これが757になりました。村の数は全国で568ありました。184に減りました。私も議員になって38年になります。大合併の前というのは、本当にこれが一杯に、大勢の方がいらっしゃいました。それはどちらがいいとか悪いとかいうお話ではございませんが、私は鳥取県の人間であります。合併の前に佐治村という小さな村がありました。人口3,000人に足りない小さな村でした。村会議員さんが10人おられました。村会議員さんにお電話すると、どこで何が起こっているかというのが、すぐにわかりました。そういうようなことが、だんだんと無くなってきてしまったような気がしますが、嘆いてばかりいても仕方がありません。今日お集まりの皆様方が、正しく地方自治の根幹であります、この町村議会を礎として、この国をいかにするかという御議論がなされることを、心より期待をいたしております。
元旦に能登で大きな地震がございました。そして、その後、秋には大雨が降りました。私はこの内閣で何とか防災庁というのをできないものだろうか、というふうに思っております。能登で被災をされた方々、私も震災の時も豪雨の時も現地へ行き、各地を回らせていただきました。地理的な条件が悪いからとか、あるいは財政力が乏しいからというようなことで、そういうような所の人たちが、そうでない所よりも困難な目に遭ってよいというお話では全くなりません。地理的な条件が悪くても、財政的に厳しくても、どんな方でも災害に対して、強い国というものを作っていかねばなりません。
基本的に災害対策基本法により、災害対策は基礎自治体の仕事ということに相成っております。そうであるが故に、当然くどいようですが、地理的条件が悪い、あるいは財政的に厳しいということが起こります。でも、国家としてどこで災害が起ころうと、同じ対応が出来なければなりません。そして、被災地で避難所があります。家は壊れ、自らも被災をされ、職を失い、絶望の淵(ふち)にある方に、避難所でプライバシーも確保されない、冷たいお食事だ、ということがあっていいと私は思っておりません。国家としてできる限りのことをいたしてまいります。どうぞお知恵とお力を賜りたいと思います。東日本大震災の時に、私は自民党の政調会長をいたしておりました。御無理をお願いして、宮城県女川の避難所に一晩泊めていただいたことがございます。やはり、地域住民の方々の声に一番近いのは町村議会の皆様方であります。
私はもう一つ、もう一度、今日は総務大臣も地方創生大臣も参っておりますが、地方創生2.0ということをお願いしたいと思っております。10年前に安倍内閣で初代の地方創生大臣を拝命いたしました。あの時は、皆様方との一体感がすごくあったなという思いがございます。その後も一生懸命みんなやってまいりましたが、人口減少は止まりません。東京の一極集中も止まりません。それぞれの町村がどうすれば、良くなるかということを一番御存じなのは、その地域の方々であります。北海道だけでも179の市町村がございます。音威子府(おといねっぷ)のこと、平取のこと、白糠(しらぬか)のこと、和寒(わっさむ)のこと、幌加内(ほろかない)のこと、全部言っていたら時間がかかるんですけれども、それはその地域の方々が、一番よく御存じのはずであります。
私は地方創生大臣の時に『産官学金労言』なんていうおまじないみたいなことを申しました。『産』というのは商工会、あるいは建設業協会、あるいはJA(農業協同組合)、産業に携わる方々であります。『官』というのは役場でしょう。『学』というのは中学校であり、高等学校だと思っております。『金』というのは、信用金庫であり、信用組合であり、あるいはJAの金融かもしれません。産官学金労の『労』は労働者の皆様方であります。産官学金労、そして『言』というのは地元のテレビであり、新聞社であり、ラジオであり。そこの町がどうやったら良くなるか。それが県庁で考えて分かると、私は思っていないのです。霞が関や永田町で考えて分かるとも思っていないのです。産官学金労言、それを全部束ねておられるのが、町村議会の皆様方であります。私は日本の持っている潜在力、それは農林水産業であり、サービス業であり、その地方が持てる力を最大限に引き出し、もう一度新しい日本をつくっていきたい。そのように思っております。
私ども、政府として町村議会の皆様方と一体となって、何とかこの国を次の時代につなげるために精一杯の努力をいたしてまいります。どうぞお力とお知恵を賜りますように、ますますの御発展、心からお祈りして御挨拶を終わります。ありがとうございました。」
(注)「1990」と発言しましたが、正しくは「1994」です。